こんにちは、nocotoです。
39才の時に、コンタクトレンズとはおさらばしたく、レーシック手術に踏み切りました。
この39才というタイミングは、末っ子ちゃんが幼稚園に入園し、少し余裕ができた年。
それまではずっとハードコンタクトレンズで耐えていました。
コンタクトレンズが嫌になった理由いろいろ
今思い出しても、コンタクトレンズライフは大変でした。
日々、ストレスを感じていました。
目にゴミが入る
私にとって一番大変だったことは、頻繁に目にゴミが入って痛い思いをし続けたこと。
高校生の時はテニス部だったのですが、風が吹くたびに目にゴミが入り、中断していました。
皆に迷惑をかけていたと思います。
他にもコンタクトをしていた子はいたけど、ゴミは入らないと言っていました。
私だけなんでだろう?と不思議でした。
原因を考えてみました。
私の目は大きい方で、まつげは長かったのですが、ビューラーをしたようにくるんと上を向いていました。
それって自慢!?なんて思わないでくださいね。
とにかく、このような目の形状なので、ゴミが入りやすいのだと考えました。
メガネにすれば良かったのでしょうが、わざわざコンタクトにしている女子高校生が、メガネ姿をさらけ出すことはできませんでした。
主婦になり、子育てが始まり、自転車に乗るようになりました。
自転車で風を切るというのが、コンタクトをしている目には困りものでした。
もう、自転車に乗るたびに目にゴミが入り、止まってコンタクトを外していました。
ドライアイになるとコンタクトがずれたり外れ落ちたり
目が乾くとコンタクトレンズがずれるんです。
これもしょっちゅう。
たまには目からポロっと外れ落ちちゃうことも。
ずれてしまうと吸盤のように白目にくっつき、何時間も取れない時がありました。
スポイトを使っても取れず、本当に困りました。
何時間か経って、何かの拍子にコンタクトレンズが動いてくれるのを待つのみ。
やがてもう、こんなの嫌だと思うようになりました。
震災が起こった時の不安
夜はコンタクトをはずし、メガネをかけていました。
もし寝ている間に大震災が起こって、メガネが見つからなかったり割れたりしたら、私、どうなるんだろう!?
と、リアルに想像してみると震えるほどの恐怖が。
たまにですがこんな不安に陥っていました。
コンタクトの人は気をつけてください!
一度、ヒヤッとしたことがありました。
私って何でも物持ちがいいのですが、コンタクトレンズも長持ちしすぎなくらいでした。
何度も落としたり、流しそうになりながらも、なくしたことはありませんでした。
だから買い替え時がつかめず、長年使っていました。
8年くらい経ったある日のことです。
いつものように優しくコンタクトを洗っていました。
優しくなでるようにです。
それなのに「パリン」と、音こそはしませんでしたが、静かに真っ二つに割れました。
決して力は入れていなかったので、経年劣化していたのですね。
もしかしたら目の中で割れる可能性もあったということだと思うと、冷や汗が出ました。
まあ、8年も使っていた私が異常だったんですよね。
反省しました。
それからは怖くて2~3年で買い換えるようにしていました。
これも長すぎなのかもしれませんが。
どうか皆様も買い替えの時期を見計らってくださいね。
潜在的な気持ちの奥底に、割れたらどうしようという意識が常にあったと思います。
レーシックした方がいいのかなあと考えることが、次第に多くなってい行きました。
そしていつしか、末っ子が入園したらやってみたいなと思うようになりました。
→アラフォーに読んでもらいたい!レーシック手術、決断から手術前日までの話